歌舞伎役者の二代目 市川猿翁(いちかわ・えんおう、本名 : 喜熨斗政彦=きのし・まさひこ)が9月13日午前6時55分に東京都で不整脈のため死去したことを15日、松竹が発表した。享年83。葬儀は親族葬にて執り行われ後日お別れ会が催されるとのこと。
市川猿翁の息子で俳優の香川照之(57)が歌舞伎俳優・市川中車の名でコメントを発表。「9月13日、父、二代目市川猿翁が天命を全う致しました。 長く険しく、それでも「夢」に邁進した歌舞伎俳優人生でした。 一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。 多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。 皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました。 心より厚く御礼申し上げます。」と挨拶した。
また孫で歌舞伎俳優の市川團子(19)も「私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。 まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。 この先は、祖父が大切にしていた「天翔ける心」「夢見る力」を忘れずに、精進して参りたいと思います。 今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。」とコメントを発表した。
市川猿翁の前妻で、香川照之の母である女優の浜木綿子(87)も「永きに渡り闘病生活をおくっていらっしゃいましたが、驚きました。中車、團子、澤瀉屋一門の活躍をお感じになり安心して、逝かれたのだと、思います。本当によく頑張って下さいました。これからは泉下より中車、團子、澤瀉屋一門をずっとお見守り下さい。偉大なる歌舞伎役者 安らかに、お休み下さいませ。私は 今度こそが、本当のお別れでございます」とコメントを発表し、祈りを捧げた。
猿爺の甥で、今年7月に両親に対する自殺幇助の疑いで起訴され、現在は保釈中の歌舞伎俳優・市川猿之助(本名、喜熨斗孝彦=きのし・たかひこ)容疑者からのコメントは今のところ出ていない。
市川猿翁は1965年に浜木綿子と結婚。同年、香川照之が誕生したが、わずか1年と数ヶ月で別居。1968年に正式に離婚した。香川は浜に引き取った。破局の原因は、日本舞踊藤間流名取(のちに紫派藤間流を創始し家元)で女優の藤間紫とのW不倫で、藤間の夫が猿翁の踊りの師匠である六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)だったこと、実は猿翁が12歳の頃から恋焦がれていた初恋の相手が藤間であったこと、16歳差で子持ちしかも師匠の妻に横恋慕し続け、なんとか諦めをつけ浜と結婚し子どもまで設けたが、どうしても諦めきれずに妻とまだ1歳の息子を捨てて、駆け落ち同然で暮らしはじめたという衝撃的な事実もあり、当時かなり話題となった。
また、両親の離婚以来、親子の関わりは断絶していたが、どうしても父を諦めきれず、大学を卒業後、俳優デビューしたのを機に思い立って公演先に父を訪ねた香川に対し、猿翁は「私はあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今の私とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって私はあなたの父でもない」「あなたとは今後、二度と会うことはありません」と完全に拒絶。その後、後妻である初代・藤間紫の取り計らいにより和解。父子関係が修復したことで知られる。2011年9月、自身の二代目猿翁襲名と香川と孫(市川團子)の歌舞伎界進出発表の際の会見には同席し、長年に渡り断絶していた親子とは思えぬほどの仲睦まじい姿を見せ、その際に前妻の浜に対し「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう」と感謝を述べた。
2003年に脳梗塞を患って以来、療養生活に入り、実質的に表舞台からは遠ざかっていたが、澤瀉(おもだか)屋にとっては精神的な支えであったため、今回の訃報によって今後の一門の行方が懸念されている。
巨星、逝く…
これに対しネットの反応は…
「ああ、不倫略奪婚のね。香川さんを一度捨てた人ね。」
「色々闇深い一族のイメージが」
「猿之助はやっぱりこの方のイメージ。」
「ずっと紫さん?のことを好きだったんだよね。お母さんに辛い目に遭わせたのに、ずっと香川照之は歌舞伎に憧れてたなんてなぁ」
「自分のしたこと以外にも色々あって、この家は大変だったもんね…」
「ただただコットン子がいちばん可哀想………」
「藤間紫さんのところに行くのかな…。中車さんも猿之助さんのことで大変なのに、お父様まで亡くされて大変だね。猿之助って名前はこの人で終わりにしてしまえば良かったのかもしれない。」
と、さまざまな声が寄せられている。